かなたけ
2025年08月18日 23:07
なぜ、子ども支援を始めたのか?

1番多い質問です

今日は隠さずに全てお伝えします

めちゃめちゃ貧乏で

「食べさせてあげたいのに、食べさせられない」
そんな苦しい思いをしていた時に

たくさんの方に助けてくれたから

今度は、自分たちが、同じような
大変な思いをしている
人を助けたいと思ったからです

20代、30代のころ

ダイナムって言う、
パチンコホールに店で働きながら、
全国を転々としていました。

江別→気仙沼→北見→相模原→東京
→岡山→埼玉→豊橋、、、、

2〜3年で

引っ越しが多くて、
新しい土地に慣れる間もなく、
気づけば毎月の生活はギリギリ

子どもが、まだ小さくて、
ごはんは炊けても、おかずが買えない

スーパーで半額の惣菜や、

値引きされたパンを頼りにしていた日々

菓子パンひとつを、こども達で、
半分こすることもありました

  「もっと食べたい」

その言葉に、何度も胸が詰まりました

でも、私が返せたのは
「ごめんね、今日はこれで我慢して」
そのひと言だけでした

正直、つらかったです

父親として、情けなくて、
悔しくて、自分を責め続けました

必死で、パチンコ屋で接客

ドル箱を運んだり、流したり、、、

出ないのはお前が悪いって
お客さまに、いきなり怒鳴られたり

めちゃめちゃいろいろありました

でも、そんな私たち家族を
救ってくれたのは、
地域の方々の優しさでした

管理人さんがくれたタケノコ
近所のおばあちゃんが分けてくれた煮物
パチンコ屋さんの食堂で、おにぎり

自分から助けを求められなかった
私たちに、さりげなく手を
差し伸べてくれた人たちがいたんです

あのときのぬくもりは、
一生忘れられません

だから私達は、ずっと決めていました

「今度は自分が、誰かを助ける側になる」って

ずっとずっと、

今も、たくさん
あの頃の私たちのように
苦しい思いをしている家族がいます

物価高騰で、お米が買えない❗️

おかわりを我慢しているこども

夕飯を菓子パンで済ませるママ

そんなママ、パパもいて、

そんな声が、私のもとにも届いています

子どもたちには

「お腹いっぱい食べる喜び」を届けたい
「我慢しなくていいよ」と伝えたい

そして、ほんのひとときでも
笑顔になってもらいたい

その笑顔が、
お父さんやお母さんの
心を少しでも軽くできたら
それだけでめちゃ嬉しい

私は、かつて受け取った優しさを、

今度はおにぎりに込めて、
次の誰かに渡していきたい

それが、
私にとっての「恩返し」なのです

そしてこれからも、
ずっと続けていきたい、

人生をかけた挑戦

2025年は、5000個を届けます

そして、
2030年には日本全国で
キッチンカー100台で、
10万個を届けます

写真は、20代の時です
体重90キロ