三浦 優希2021年09月19日 10:59
○差別がいけないという前に、人を傷つけるのは良くない

皆さんこんにちは!昨夜の雨模様から一転、東京は快晴ですね!気持ちのいい天気です。

さて今日は、少し前に読んだ、ブレイディみかこさん著「僕はイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の中に出てきた一説について考えてみたいと思います。

この作品は、イギリスに住むブレイディさん一家の様子をノンフィクションで記したものです。息子さんが通っているのは、人種も貧富もごちゃ混ぜの「元底辺中学校」で、いわゆる治安の良い場所ではない中で、思春期真っ只中の息子とブレイディさんの親子の対話の記録がエッセイとなったものです。

ここ最近使われることの多い「ダイバーシティ(多様性)」とはなんなのか、を改めて考えさせられる一冊です。

この本はとっても面白いのでぜひ多くの方に読んでいただきたいのですが、この本の一説に、

「差別はいけないと教えることが大事なのはもちろんなんだけど、あの先生はちょっと違ってた。どの差別がいけない、っていう前に、人を傷つけることはどんなことでもよくないっていつも言っていた。」

というシーンが出てきます。
これは、息子が通っている学校で、住んでいる場所を馬鹿にするような人種差別的発言を原因に息子の友達同士が喧嘩をし、息子がそれをお母さんのブレイディさんに相談した際に、「母ちゃんにもこんなことがあったよ」と学生時代に経験したことを話す時に出てくる一説です。

実は、ブレイディさん自身も過去に似たような経験があり(ここでは詳細は割愛します)、その時に当時の先生から言われたのがこの言葉だったそうです。

「差別がいけない、という前に、人を傷つけるのはどんなことでもよくない」

というのはかなり真理に近いのではないか、と僕は感じました。

ここ最近は特に、多様化がどんどん進む中で、本人が意図した言動だったかどうかに関わらず「今のは〜の差別にあたる」といった事例が増えてきているのではないかと思います。

僕自身も、海外で生活を続けていた身として、人種の違いからさまざまなことを言われたりすることがあったし、逆に、自分自身が気づいていないだけで、誰かを悲しい気持ちにしてしまったこともあるはずです。

「どんな差別がいけないのか」を考えることは、あくまで手段にフォーカスをした話であり、何より大切なのは「そもそも相手を傷つけることはよくないことだよね」という目的の方に焦点をあてて物事を考えることだと、僕は思います。

この問題はとってもナイーブなものではありますが、差別問題というものに限定するのではなく、単純に、どんな時であれどんなものであれ人を傷つけるべきではない、という視点は絶対に忘れてはいけないものだなあと感じました。

今回紹介したこの本、本当に学びがたくさんなので是非是非お手に取ってみてくださいね!今ならKindle Unlimitedでも読めちゃいます!

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー ( 新潮文庫 ) https://www.amazon.co.jp/dp/4101017522/ref=cm_sw_r_cp_api_glc_i_V4CVC1J008YHSFHEN856