三浦 優希2021年09月16日 08:00
○触れられる情報の差について

皆さんおはようございます!昨日は投稿ができず申し訳ありません🙇‍♂️

今日の僕の予定は午前からトレーニング、夜は氷上練習です!1日1日を大切に頑張ります!💪🏼

今日は、「触れられる情報の差」というテーマでお話したいと思います。これ、皆さんからのご意見ももらいたいので何か思ったことがあれば遠慮なく教えていただけると幸いです!

この前の大学の話に通じるのですが、僕が大学に通い始めて一番強く思ったことが、「こんなに新しい情報に出会えるんだ」というものでした。

僕はキネシオロジーを専攻していたと話しましたが、いろいろな授業の中で、人生で初めて聞く知識に触れることができたり、その授業の中で先生たちが豆知識を伝えてくれたりと、とにかく、情報のインプット量が圧倒的に増えました。

そこで同時に思ったことが、「もしこれを独学で学ぼうとしていたら、一体どれほど僕はこの分野について知ることができたのだろうか」ということでした。

「さあ、この分野について勉強を自分で頑張ってみよう!」と思ったところで、僕がアクセスできる情報は、「僕がアクセスしようと思える範囲」が限界点になります。

何かをインターネットで調べるにしても、人に聞くにしても、本を読むにしても、自分の頭に浮かんだアイデアがスタート地点であり、それよりも広い範囲のことを知る方法はそれ以上ありません。便利な世の中になったことで、アクセスできる情報の量は増えたかもしれませんが、それはあくまで自分が思いつく範囲で見れる情報でとどまります。

ただ、ここで、自分以外の人と絡むことで、見える世界は大きくなります。周りの人とコミュニケーションを取ることで、

「あっ、その言葉をGoogleに入力すればよかったのか」
「こんな方法があるのか」

といった形で、自分の力や発想だけでは絶対にアクセスできない情報に出会うことができるようになります。

僕はこれが、個人と組織の大きな違いである、と思っています。

一人で何をするにしても、どれだけ手を動かしどれだけクリエイティブになろうとも、それはあくまで自分が手を動かせる範囲にとどまっているものであり、そのエリアをぶち抜けるには、「周りの人との接触」が不可欠でないかと思っています。

最初の話に戻りますが、その点でいうと、大学は「あらゆる情報へのアクセス源のありか」といったイメージでした。自分だけでは確実に思い付かないし、調べようともしないであろうアイデアを、たくさん見せてくれました。

独学で何かを学ぶこと自体は本当に素晴らしいことだし、既存の形にとらわれないからこそ突き抜けたアイデアが生まれることもあるかとは思いますが、自分自身が思い描くことができる宇宙(脳内のアイデアの限界)を簡単に飛び越えてきてくれるのが、周りの人とのコミュニケーションだと思っています。

そういった意味で、僕は人のお話を聞くことがとっても大好きです。種類はどうであれ、自分以外の全ての人は、自分には絶対にアクセスできない情報を持っているし、それを知ることで、生きることがもっともっと楽しくなります。

これからも、いろんな人からのお話をたくさん聞かせてもらいたいです!

皆さんはどうお考えでしょうか?

最後まで読んでいただきありがとうございました!