おば太郎2021年03月30日 20:12
こんにちは、サッカーから離れましたが何か動かないと気持ち悪い感覚に陥り運動習慣をやめれないおば太郎です。

今日はサッカーから離れたことによる「気づき」についてお話しします!

まず始めに自分の中ではサッカーを辞めたら何かが大きく変わると思っていましたが、サッカーを辞めたからと言って、何か周りの環境が劇的に変化した訳ではありませんでした。

サッカーを辞める前は「僕がサッカーを辞めたら他のみんながめちゃくちゃ驚くだろう。」なんて思っていましたが、実際に辞めてみたら「そうなんだ。」くらいの感想がほとんどでした。
他人はそんなに自分には興味ない。
完全に自意識過剰でした。笑

これも1つの「気づき」でしたが、サッカーを辞めてからの1番の「気づき」を昨日、発見したのです。

それは、、

「意外にも自分は他人に影響を与えていた」

ということです。
自分で言うとなんだか嫌なやつなのですが、このようなことに昨日、初めてというか改めて気づいたのです。

この「気づき」を得たキッカケなのですが、昨日YouTubeに投稿したサッカーの引退を僕が伝える動画です。

僕はその動画を投稿する前は「サッカー辞めるなんて視聴者への裏切りだ」などのアンチコメントが多く寄せられるのではないかと思っていました。
しかし実際は予想とまったく違ったのです。

「今までお疲れ様でした!」

「今までありがとうございました。」

などのとても温かいメッセージをおよそ200件ほど、ありがたいことに頂きました。 

素直に嬉しかったし、本当に温かい視聴者の方々に応援してもらっていたんだなと改めて思いました。

それではなぜ、このような出来事で「自分が他人に影響を与えていた」と気づくことになったのか?

それは昨日のYouTubeのコメント欄で1番と言えるほど、多く寄せられたコメントが、

「おば太郎さんの動画を見たおかげで、僕も頑張って努力することができました!」

というものだったからです。

このようなコメントを見て、

「自分は少なからず、誰かに良い影響を与えていたんだ。」

このようなことに気付かされました。

そして、「YouTubeで発信してきた意義があったんだ」と。

ということで以上がサッカーから離れてから改めて感じることができた「気づき」でした。
しかし、この話には僕にとってはあまりよろしくない裏があります。

それはなにか?

僕がYouTubeを投稿し始めてから半年を過ぎるあたりまでは、自分のためにプロサッカー選手を目指してトレーニング、努力を積み重ねてきましたが、半年を過ぎ、僕のYouTubeチャンネルが少し大きくなってきてからは見ている視聴者さんのためにプロサッカー選手を目指して努力を積み重ねていくような自分にだんだんとなっていってる気がしたのです。

要するに、自分のために努力を積み重ねる中で、結果として周りの人たちに良い影響を与えるのが本来正しい形であるのに対し、周りの人に良い影響を与えるために努力を積み重ねてしまっていたのです。

つまり、練習という自分が上手くなるための「手段」が視聴者さんを喜ばせるという「手段」へとすり替わってしまったのです。

これがプロサッカー選手への熱量が少し薄らいでしまった原因の1つでもあります。

このことについてはかなり長くなるので、また違った機会に詳しくお話しさせて頂きます。

長文になり、最後は少し脱線してしまいごめんなさい?‍♂️