おば太郎2020年11月10日 22:09
「勉強に関しての考え方」

今日はいつもサッカーの話ばかりなのでそれとは違う"勉強"のお話しを僕の過去を振り返りながらしていきたいと思います!

小さい頃からサッカーしかしてこなかった自分にとって勉強は面倒くさいものだとずっと思っていました。
というより父親がゴリゴリの体育会の人間で「勉強する暇あったら練習しろ」と小さい頃から言われてきたので勉強はしなくてもいいものだと思い育ってきました。 

そんな勉強ですが中学生、高校生になると定期試験があります。 
もちろん勉強なんか全くせずにテストに臨んでいましたがある試験で1度友達とご飯をかけて勝負することになりました。

勝負には勝ちたいので勉強すると意外にも高得点を取ることができました。 
すると先生や友達、親にたくさん褒められました。 
僕はそれが単純に嬉しくて毎回テストでは勉強して高得点を取れるようになりました。

学校の勉強は勉強した分だけ成果が返ってくるので頑張ったら報われ、それにより周りから認められる。
これが僕にとっては快感でした。

そんな快感を得るために試験前だけは寝る間も惜しんで狂ったように勉強してほとんど90点以上を取っていました。 

しかし大学生になると一気にそのスイッチが切れてしまいました。 
学校に行かないで授業を受けなかったり出席だけして寝ているなど怠惰な大学生活を送っていました。
そんな大学生活を送る中で中学、高校時代を思い出しました。 

「なぜ大学生になると中高生の時のように勉強のやる気がなくなってしまうのか。」

この疑問が膨らみ考えていると自分の中でその理由が2つ見つかりました。

・1つは大学では高校のようにクラスが存在せず良い成績を取っても周りに"すごい"と認められることがないから。

・もう1つが大学はテストが返ってくることがなく自分が頑張った分に対して返ってくる目に見えた成果がないから。

以上の2つの理由で完全に勉強に対するモチベーションが無くなってしまうと思いました。

このとき僕は気付きました。

「僕は今まで必死に勉強して高得点を取っていたのは勉強が好きだったんじゃない、勉強をすることで得られる報酬が好きで勉強をしているのだと」

ここで言う報酬とは単純なテストの得点や周りから褒められ承認欲求を満たすことです。

大学ではこの報酬がないので勉強にやる気が出なかったのです。

気になって調べてみると僕が中高で勉強を頑張れたのは心理学的に言うと外発的モチベーションがあったからです。

外発的モチベーションとは行動の要因が評価、賞罰などの人為的な刺激によって成り立っているものです。
しかしこのモチベーションにはデメリットがあります。 

より高い報酬が与えられ続けている時にはモチベーションを保てるがある行動に対しての報酬が与えられなくなった途端、その行動に対するモチベーションが一気に下がってしまうという研究結果があるらしいです。

僕は完全にこれに当てはまっていました...

勉強するという行動に対して良い点を取ったり認められるという報酬を得てモチベーションを保っていたが大学生になりその報酬を取り上げられたことにより急激にやる気を失ってしまいました。

これに対して内発的モチベーションというものもあるらしくそれは行動の要因が自分の内面から湧き上がる興味や関心によって成り立っているものです。

この内発的モチベーションは外発的モチベーションに比べて持続性があります。

自分が興味を持ったものなので報酬など関係なしにその行動を持続することができるのです。

ここで1度なぜ勉強をするのかに立ち返ってみるとそもそも学問とは良い得点を取って周りから認められるためにやるのではなく自分がこれを学びたいと思った分野を勉強するべきものです。

そういったことを考えると僕は勉強をしなくなったのを大学のせいにしていましたがそれが間違いであることに気がつかされました。

大学では自分の中で興味や関心がある勉強を自主的に取り組んでいく場です。 そこに報酬などを求めてはいけなかったのです。

このことに気付いてからは自分の興味があるものだけを勉強しようと決めて丁度モチベーションについて調べたりしていたので心理学に興味を持ち心理学部の授業などを受けたりし始めました。

すると報酬がなきゃ全くやる気が起きなかった勉強ができるようになり学ぶこと事体が少しずつ楽しくなりました。

とても長くなりましたが何が言いたいかというとこれからの人生ではなにかしらの行動をする時に外的な評価や報酬よりも自身の内側から湧き上がる興味、関心を大事にして生きていこうと思いました。

なんの話しをしてるのか分からなくなりごめんなさい。笑
これからはサッカー以外でも自分が考えてる価値観などもお話ししていこうと思いまーす!!