おば太郎2021年10月24日 09:00
おはようございます。
部活の朝練なくなったため、早起きが苦手になったおば太郎です。
今日は午前中に試合なので早起きしました。

昨日大学でこんな言葉を見かけました。

「あなたがたは真理を知り真理はあなたがたを自由にする。」

イエス・キリストが伝えたこの言葉に隠された意味は知らないですが、自分なりに解釈してみました。

「真理」とは世の中の変わることない普遍的な物事の答えみたいなものだと思うのですが、その真理が僕たちを自由にしてくれるとはどういうことなのか?

真理を知るということは、ぼくたちが現実で体験することの抽象度をどんどん上げていくことだと僕は解釈しました。

日々感じる出来事に対して、「なぜ?」という問いを繰り返すことについて、徐々に抽象度の高い世の中の「真理」を知ることができるのだと思います。

もし僕たちが現実で体験する具体的な事象に悩んでいた際に、真理を知ることでその悩みが無意味であることに気付きます。
すると視野が広がり、他の選択肢もあるということに気づき、悩みから僕たちを救ってくれて、結果自由になることができます。

おじいちゃん、おばあちゃんが「毎日生きてるということだけで幸せ」と言っているのを聞いたことがありますが、これは「死」という絶対に変わることのない真理を意識し始めることで、世の中の見え方が変わったのだと思います。

このように「真理」を知ることで、世の中の見え方が変わったり、身近な悩みに他の選択肢を与えてくれます。

ただ僕の中で1つ難しいと思うところは、世の中の「真理」を知ると、世の中のほとんどが無意味だと感じてしまうのでは、ということです。
僕はまだ若者の部類に属するので、知らないことだらけですが、歳をとるにつれて色んなことを知っていくと、真理に近づいていき、日々の具体的な世界ではなく、抽象的な世界に生きてしまうのではないかと思っています。

ある意味このような状態は、真理によって不自由になっているのだと思います。

なので、聖書の「真理はあなたがたを自由にする。」を実践していくには、僕はこの「真理」というものを利用する形で、具体的な現実の世界で悩んだら、上の抽象的な次元で物事を捉えて、「どうせ死ぬんだからいいでしょ」てきな、見方を変えてくれて、選択の幅を広くするような真理に対する考え方を持つ方が良いんじゃないかなと思ってます。