おば太郎2021年07月10日 14:40
こんにちは、今日はすごい晴れているので日焼け止めを大量に塗ったらほぼコウメ太夫になったおば太郎です。
ここ最近FiNANCiEとYouTubeでの投稿をできていなくて、申し訳ありませんでした!🙇♂️
投稿してなかった理由は自分が歩んできたこれまでの人生と自分とはどういう人間なのかを振り返る時間が欲しかったからです。
自分と対話をする中で少し整理が付いてきたので、今回は過去を振り返って、僕に生じた心境の変化をお話しさせていただきます。
長くなってしまったらごめんなさい🙇♂️
(たぶんスーパー長くなります。笑)
僕の過去を簡単に振り返ると3つの段階があって、
1、プロサッカー選手を目指す
2、YouTubeを始める
3、プロを諦め芸能界を目指し始める
に分けられます。 2、3はここ1年の出来事なのでほとんどの人生はプロサッカー選手を目指していたということになります。
僕は約15年間、なんでプロサッカー選手になりたいかを考えることなく、プロという「何か」に向かってひたすら走ってきました。
夢に理由はいらないとは思いますが、プロサッカー選手になったら「何か」があると思って、良い意味で、そのフィクションに囚われて辛い練習もすることができました。
もちろんサッカーをすること自体が好きだったので、練習することは辛いことだけじゃなくて、むしろ練習自体をとても楽しんでいました。
しかしYouTubeを始めてから少しずつサッカーを楽しめなくなってきたのに加えて、「プロになる理由」を考え始めるようになりました。
YouTubeでは「プロサッカー選手になる」という夢を掲げて、それに向かって練習をする様子を動画として発信していました。
そして、ありがたいことにすぐさま登録者が増えて、ただの一般人から、
「色んな人から見てもらって、応援される人間」にまでなることができました。
さらには自分の大好きなサッカーの自主練習の様子を上げるだけで、収入をいただけることにもなりました。
しかしこのことがきっかけで少しずつサッカーが楽しくなくなってきました。
理由としては2つあって、
1つ目はただ自分が楽しくやっていた自主練習が再生数を稼ぐための手段となってしまったからです。
もう1つはYouTube上でプロサッカー選手という夢を掲げていたことで、「プロを目指して頑張るおば太郎」という視聴者さんが思うキャラクターを演じることとなってしまったからです。
詳しくはまた違う機会で話しますが、純粋にサッカーを楽しんでいて、内発的に動機付けされていたものが、「評価」「お金」などの報酬を得るため、というように外発的に動機付けされたことが原因で、サッカーをあまり楽しめなくなりました。
そしてプロサッカー選手になることと、目指すこととのどちらもが手段化して、「プロを目指して頑張るおば太郎」が独り歩きしていきました。
するとそんな自分が段々と苦しくなり、こんなことを考え始めるようになりました。
「俺ってそもそも何のためにプロを目指してたんだっけ?」
「プロになった先に何かあるんだろうか?」
ここで初めて、自分はそもそもプロになる理由なんて考えていなかった、ということに気が付きました。
プロになった先に「何かがある」というフィクションにただただ囚われていただけだったのです。
今考えると、この「何かがある」というフィクションはプロになって色んな人からチヤホヤされ、承認されたいという欲求が根本にあったんじゃないかなと思ってます。
このような葛藤を抱えると同時に、少しずつサッカーに対する情熱が薄れてきて、それがプレーにも影響し、プロを諦めることに決めました。
プロになる理由を考え始め、プロを諦めることになったのにはYouTubeをしてきたことが1つの要因としてありますが、単純に自分の実力が足りなくて、プロに届かない自分を正当化するためにプロになる理由を考え、プロになる必要性がないのならプロを諦めても言い訳が効く、みたいな心境もあったのだと思います。
このようにして自分の人生の核であったサッカーから離れることになりました。
そしてサッカー選手という夢というかフィクションが無くなることで、毎日が退屈になりました。
そこで自分の内面と向き合うのはなにか怖くてできなく、すぐさま芸能界を目指すことに決めました。
完全にフィクションレスの穴埋めをする手段として芸能界を目指し始めました。
長年付き合った彼氏と別れて、ショックを紛らわすためにすぐさま違う男を彼氏にするやつと同じですかね。笑
何ヶ月か経つと、またプロサッカー選手を目指していた時と同じように、
「何のために芸能界に入るのだろう?」
このようなことを考え始めました。
そして、いったん自分の内面としっかり向き合ってみよう、ということで芸能界の活動もやめ、SNS投稿もやめました。
自分の内面に潜り込むために外部との接点をほとんど遮断しました。
YouTubeなどをやめることで膨れ上がった自意識が少しずつ薄まり、周りからの目を気にすることがなくなりました。
また時間を確保することができるようになったので、だらだら好きな本を読んだり、好きな映画を見たり、1人でボールを蹴ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
目の前のことに意識を向けられるようになり、当たり前の日常に幸せを感じられるようになっていきました。
最低限度の生活で自分の好きなことをするライフスタイルもありなんじゃないかな、とも思い始めました。
しかしそんな毎日を過ごす中でも、心の中に少しモヤモヤした気持ちがありました。
「今のままで幸せだけれど、、、」
その時は上手く言語化はできていなかったのですが、こんな感じのことを思っていました。
人生の節目については3つのフェーズがあると心理学のトランジション理論では言われています。
1、何かが終わる時
→自分の目指していたもの、慣れ親しんでいたものが終わり損失感を覚える
2、ニュートラルゾーン
→大事にしていたものがなくなり、空虚感が続く
3、何かが始まる時
→目的意識がうまれ、新たな旅へのスタート
この理論に当てはめると僕はサッカーという人生で大きなものが終わりを告げ、目標もなく、何とも言えぬ空虚感が続いているのでまさしく2のニュートラルゾーンにいると思います。
今の当たり前な生活で満足だが、空虚感を抱いている根本的な理由は小さい頃から、他人と比べて評価がなされる競争社会で育ってきたのにも関わらず、そこから降りてきて自分軸で評価を下す世界に移ってきたからだと思います。
要するに幸せというものを、他人との評価軸で捉えていたものが、自分軸で評価できるようになったのだが、まだ前の評価軸の面影もあり、それが空虚感やモヤモヤを生み出しているということです。
ちょっと大学の期末レポートレベルに長い文章になってしまったので、続きはまた明日お話しします。
今回は自分の過去から現在に至るまでの心境の変化をお話ししてきましたが、明日はモヤモヤした現在から未来に向かってどういう道を歩んでいくのかをお話ししたいと思います!
これからはFiNANCiE投稿をまた再開するのでよろしくお願いします!!
YouTubeも再開します!👍
ここ最近FiNANCiEとYouTubeでの投稿をできていなくて、申し訳ありませんでした!🙇♂️
投稿してなかった理由は自分が歩んできたこれまでの人生と自分とはどういう人間なのかを振り返る時間が欲しかったからです。
自分と対話をする中で少し整理が付いてきたので、今回は過去を振り返って、僕に生じた心境の変化をお話しさせていただきます。
長くなってしまったらごめんなさい🙇♂️
(たぶんスーパー長くなります。笑)
僕の過去を簡単に振り返ると3つの段階があって、
1、プロサッカー選手を目指す
2、YouTubeを始める
3、プロを諦め芸能界を目指し始める
に分けられます。 2、3はここ1年の出来事なのでほとんどの人生はプロサッカー選手を目指していたということになります。
僕は約15年間、なんでプロサッカー選手になりたいかを考えることなく、プロという「何か」に向かってひたすら走ってきました。
夢に理由はいらないとは思いますが、プロサッカー選手になったら「何か」があると思って、良い意味で、そのフィクションに囚われて辛い練習もすることができました。
もちろんサッカーをすること自体が好きだったので、練習することは辛いことだけじゃなくて、むしろ練習自体をとても楽しんでいました。
しかしYouTubeを始めてから少しずつサッカーを楽しめなくなってきたのに加えて、「プロになる理由」を考え始めるようになりました。
YouTubeでは「プロサッカー選手になる」という夢を掲げて、それに向かって練習をする様子を動画として発信していました。
そして、ありがたいことにすぐさま登録者が増えて、ただの一般人から、
「色んな人から見てもらって、応援される人間」にまでなることができました。
さらには自分の大好きなサッカーの自主練習の様子を上げるだけで、収入をいただけることにもなりました。
しかしこのことがきっかけで少しずつサッカーが楽しくなくなってきました。
理由としては2つあって、
1つ目はただ自分が楽しくやっていた自主練習が再生数を稼ぐための手段となってしまったからです。
もう1つはYouTube上でプロサッカー選手という夢を掲げていたことで、「プロを目指して頑張るおば太郎」という視聴者さんが思うキャラクターを演じることとなってしまったからです。
詳しくはまた違う機会で話しますが、純粋にサッカーを楽しんでいて、内発的に動機付けされていたものが、「評価」「お金」などの報酬を得るため、というように外発的に動機付けされたことが原因で、サッカーをあまり楽しめなくなりました。
そしてプロサッカー選手になることと、目指すこととのどちらもが手段化して、「プロを目指して頑張るおば太郎」が独り歩きしていきました。
するとそんな自分が段々と苦しくなり、こんなことを考え始めるようになりました。
「俺ってそもそも何のためにプロを目指してたんだっけ?」
「プロになった先に何かあるんだろうか?」
ここで初めて、自分はそもそもプロになる理由なんて考えていなかった、ということに気が付きました。
プロになった先に「何かがある」というフィクションにただただ囚われていただけだったのです。
今考えると、この「何かがある」というフィクションはプロになって色んな人からチヤホヤされ、承認されたいという欲求が根本にあったんじゃないかなと思ってます。
このような葛藤を抱えると同時に、少しずつサッカーに対する情熱が薄れてきて、それがプレーにも影響し、プロを諦めることに決めました。
プロになる理由を考え始め、プロを諦めることになったのにはYouTubeをしてきたことが1つの要因としてありますが、単純に自分の実力が足りなくて、プロに届かない自分を正当化するためにプロになる理由を考え、プロになる必要性がないのならプロを諦めても言い訳が効く、みたいな心境もあったのだと思います。
このようにして自分の人生の核であったサッカーから離れることになりました。
そしてサッカー選手という夢というかフィクションが無くなることで、毎日が退屈になりました。
そこで自分の内面と向き合うのはなにか怖くてできなく、すぐさま芸能界を目指すことに決めました。
完全にフィクションレスの穴埋めをする手段として芸能界を目指し始めました。
長年付き合った彼氏と別れて、ショックを紛らわすためにすぐさま違う男を彼氏にするやつと同じですかね。笑
何ヶ月か経つと、またプロサッカー選手を目指していた時と同じように、
「何のために芸能界に入るのだろう?」
このようなことを考え始めました。
そして、いったん自分の内面としっかり向き合ってみよう、ということで芸能界の活動もやめ、SNS投稿もやめました。
自分の内面に潜り込むために外部との接点をほとんど遮断しました。
YouTubeなどをやめることで膨れ上がった自意識が少しずつ薄まり、周りからの目を気にすることがなくなりました。
また時間を確保することができるようになったので、だらだら好きな本を読んだり、好きな映画を見たり、1人でボールを蹴ってみたりと楽しい日々を過ごしていました。
目の前のことに意識を向けられるようになり、当たり前の日常に幸せを感じられるようになっていきました。
最低限度の生活で自分の好きなことをするライフスタイルもありなんじゃないかな、とも思い始めました。
しかしそんな毎日を過ごす中でも、心の中に少しモヤモヤした気持ちがありました。
「今のままで幸せだけれど、、、」
その時は上手く言語化はできていなかったのですが、こんな感じのことを思っていました。
人生の節目については3つのフェーズがあると心理学のトランジション理論では言われています。
1、何かが終わる時
→自分の目指していたもの、慣れ親しんでいたものが終わり損失感を覚える
2、ニュートラルゾーン
→大事にしていたものがなくなり、空虚感が続く
3、何かが始まる時
→目的意識がうまれ、新たな旅へのスタート
この理論に当てはめると僕はサッカーという人生で大きなものが終わりを告げ、目標もなく、何とも言えぬ空虚感が続いているのでまさしく2のニュートラルゾーンにいると思います。
今の当たり前な生活で満足だが、空虚感を抱いている根本的な理由は小さい頃から、他人と比べて評価がなされる競争社会で育ってきたのにも関わらず、そこから降りてきて自分軸で評価を下す世界に移ってきたからだと思います。
要するに幸せというものを、他人との評価軸で捉えていたものが、自分軸で評価できるようになったのだが、まだ前の評価軸の面影もあり、それが空虚感やモヤモヤを生み出しているということです。
ちょっと大学の期末レポートレベルに長い文章になってしまったので、続きはまた明日お話しします。
今回は自分の過去から現在に至るまでの心境の変化をお話ししてきましたが、明日はモヤモヤした現在から未来に向かってどういう道を歩んでいくのかをお話ししたいと思います!
これからはFiNANCiE投稿をまた再開するのでよろしくお願いします!!
YouTubeも再開します!👍